『ストレンジャー・シングス 2』を観了

2017.10.31 Tuesday

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    結局2.5日の短期間で観終えてしまい今イレブンのママ状態になっている『ストレンジャー・シングス』のセカンドシーズン。という事実以上にこのドラマの面白さを語る術は持ち合わせていない。

     

     

    今回全話において涙無しに観る事ができず、その理由は「また会えたねボーイズ!」という喜びの再会と等しく、イレブンとウィルに襲い掛かる厄災があまりに過酷で同情、というより親心が発動してしまった所為もある。

     

    ファーストシーズンよりも現世界とパラレルワールド(劇中では"upsidedown"と呼ばれる世界)との接合点がデカくなっているため、物語も映像も前シーズンよりスケールアップしている訳だが、2つの世界を繋ぐ巫女的な存在であるイレブンとウィルにかかるプレッシャーもその分デカくなるのは必然といえよう。ウィルは肉体的に、イレブンは精神的にじわじわと追い詰められていく様を直視する事は非常に辛かった。だが最初に涙が溢れたのはダスティンのあ・の・マヌケな顔を観た瞬間だという事はあえて告白しておこう。

     

     

    今シーズンで前歯を新調したダスティンがちょくちょく必殺技をかますくだりは2017年ベスト・モーメントなので最近鏡の前でマネしているのだが結構難しい。(ダスティン役のゲイテン・マタラッツォによるとチューバッカのモノマネが進化したものらしい)

     

     

    制作者であるザ・ダファー・ブラザーズは「今作はより映画的なスケールを追求した」と語っており、その言葉の通りなのは予告だけでもすぐに判る。しかしながら『ストレンジャー・シングス』の面白さはそのスケール感云々よりも、「Outcasts(はみだし者)へおくる賛歌と彼等の成長譚」こそが核といえ、愛すべきキャラクターの存在が物語をグイグイと、寝る間も与えぬグルーヴを放ち続けているからに他ならない。実質『ストレンジャー・シングス』には「主人公」といえるシンボリックなキャラクターは複数居て、全キャラクターに確かなスポットライトを当てる事で「類稀なる群像劇」として昇華された非常に稀有なドラマなのだ。幼い頃はキン消しで一人遊び、高校に入っても周囲と馴染めず窓際で一人FMラジオを聴いていた私も、そして少なからず似たような経験をもつ全てのアウトキャスト達全員がマイクであり、ウィルであり、ダスティンであり、ルーカスであり、イレブンに自分を重ね合わす事ができる。僕たちの前にはいつだって『ストレンジャー・シングス』の世界へ飛び込む為の「ゲート」が開かれているのだ。

     

     

    予想が外れたら現在練習中のダスティンのモノマネをYou Tubeにアップする覚悟だが、『ストレンジャー・シングス』はシーズン3の制作がほぼ確実に決定している筈だ。本作が既にカルト化している最大の理由は「意図的に語られない無数の謎」にあり、最新シーズンでも明らかな余韻を残すラストを置き去りにして「The End」を迎えようものなら世界中に凶暴なデモゴルゴンが出没するに違いない。現時点で『ストレンジャー・シングス』は継続する事が至上命題となっている程の人気作な訳だが、『ツインピークス』の様に狂信化したファンをなだめるための「ANSWER」を無理矢理でっちあげなければならない様な事態にならなければよいのだが、、、と切に思いながらインタビュー番組『ストレンジャー・シングス ビヨンド』を全力で楽しんでいる。

     

     

     

    プライベートのガキどもはマセまくっててそれはそれでカワイくないのだがそれがショービズという世界なのだろう。

    今回はサントラ絶対入れます。

    ALFFO RECORDS MOVIE REVIEW『ダンケルク』

    2017.09.08 Friday

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      明日9/9から公開、現役最強の監督として名高いクリストファー・ノーラン最新作『ダンケルク』。

      縁あって一足先に試写に行ってきた。

       

       

      最初に断わっておくと、『ダンケルク』が面白くない訳では無い。

      だが、クリストファー・ノーランは「風景画」は絶品だが「人物画」を描くマインドに大きな欠落がある、というのが今日までずっと抱き続けている持論だ。

       

      実際、今作に関するインタビューでノーランは、

       

      「ゴーグルを必要としないVR」

      「ライド型の映像体験」

       

      というフレーズを自信の口からきっぱり言い放っている。豪語するだけあって「映像作家」としてのノーランは今回も「やっぱすごいね」と誰もが顔を見合わせるだろう。

       

      だが「人物画」、すなわち物語を推し進めるべき筈の「登場人物」の描き方に全く魅力を感じ無いのは「映画」として致命的である。

       

       

      例えば直近で観た『Baby Driver』『新感染』ははっきりいって大したストーリーでは無いが、どちらもキャラ立ちが凄まじい故物語が自然と動き出す。そして魅力的なキャラクターに感情移入した我々は一層その物語に深く没入する事ができる。それは例えどんな低予算だって映画を面白く出来る最大のスパイスだ。

       

       

      あくまで個人的に、ではだが、ノーラン全作品に同じ事が言えると思っていて、実際『ダークナイト』『インセプション』『インターステラ―』も未だに「あれ、どんな話だったかな。」「どうオチたっけ。」と頭を抱える事が多い。(自脳が低スペックな問題もあるが)。おまけに上映時間が長いうえに説教くさいとすら思える浅い「生命賛歌」を謳われてイライラした記憶すらある。つまり「物語」が記憶に残らないのだ。ノーランがブレイクした『ダークナイト』はジョーカー役のヒース・レジャーが文字通り、命をかけてあ・の・凄まじいキャラクターを作り上げ、リミットを越えて物語を推進したから成立する作品である、という評価を誰が否定できようか。

       

       

      『ダンケルク』の映像はやはり凄いし美しいし迫力もあるしおまけにライド感もある。だが2時間近くもジェットコースターに乗ってたら誰だって飽きるでしょう。

       

       

      そこで映画として重要なのがやはり「物語」なのであって、「物語」「人物」の描き方に欠損があるならば『カラーでみる第二次世界大戦』とかNetflixにアップされているドキュメンタリーの方がよほど胸に迫るものがある。『ダンケルク』はあくまで実話を基にしたフィクションであって、フィクション(虚構)とは優れた嘘で現実を揺さぶる事が至上命題である。

      ノーランが敬愛して止まないスピルバーグは『ジョーズ』の時から今なお映像の革命児であるが、それ以上に稀代の「ストーリーテラー」なのであってそこに大きな差がある。遥か昔の神話や聖書やおとぎ話がいつまでも語り継がれるのは、人間が常に「物語」を欲する生き物だからだと思いませんか。ないがしろにしているとは言わないがはっきりいって『ダンケルク』にも物語のうねり=グルーヴは、無い。

       

       

      ここまでくるとノーランは「人間」そのものにあまり関心が無いのかもしれない。とすら思うがでも次も観にいくから頑張れ、ノーラン。